発病して今日で12日目。寝ている時のめまいと、吐き気は収まったが、未だに起きている時のめまいは続いており、耳鳴り、耳の閉塞感がある。
12日間も何の仕事もしなかったなんて、2年前の尿路結石の手術以来だ。
2年前の尿路結石も、前兆はかなり前から出ていたが、ごまかし、ごまかしやってた。
その結果、2本ある尿管の両方に結石が出来てしまい、レーザーでは無理との事で、生まれて初めての全身麻酔での手術だった。もう少し遅かったら、かなり危険な状態だったようだ。
男にとって仕事は大切なものだ。家族を養っていくためにも、男は働き続けなければいけない。でも、これは男に限ったことではない。女も同じだ。専業主婦であろうと、キャリアウーマンであろうと、パート従業員であろうと、働き続ける必要がある。
しかし、物事には限度、限界がある。それを忘れ、自分の限界を超えてしまうと、俺の様になってしまう。2年前の時は、術後の経過を見ながら、大体何時頃に復帰可能かが読めた。しかし、今回のメニエール病は、それが読めない。それだけに辛い。
さて、泣き言はこれぐらいにして、今日は何を語ろうかなあ。
仕事と言えば、日本では非正規雇用の問題がよくニュースになっているよな。失業率は下がったと言われているが、非正規雇用が増えているとか。
経済については専門家じゃないから偉そうなことは言えないけど、日本も大変なようだな。
台湾でもリストラされたり、会社が倒産したりして、失業者は増えている。でも、台湾人と日本人の大きな違いがある。
日本人は「どこの会社に勤めているか」が重要だが、台湾人の場合は、「どんな仕事をしているのか」が重要。
台湾では、大学教授やd弁護士の様な知識人よりも、従業員2,3人であっても、会社の経営者の方が尊敬される。
だから、台湾人は会社に入社した時点で、将来の目標をしっかりと持っており、その目標を叶えるためのスキルアップと資金を貯めるために会社勤めをしている。これは男女ともにそうだ。
だから、台湾でも一流と言われる大手企業に勤めていても、「ここでは自分のスキルは伸ばせない」と判断するとすぐに転職していく。
また、俺の友人なんかは、台湾食品メーカーでは最大手の企業の課長だったのに、ある日突然その職を放棄。翌日から屋台を始めた。夜市での屋台だ。驚いたねえ。
でも、彼は3年後には、屋台5件、移動販売車3台にまでその事業を成功させ、今では、路面店も展開している。
日本人はすぐに「台湾人は優しい」「台湾人は親切」「台湾人は人情味がある」と言うけど、確かにそういった一面を持ちながらも、生き馬の目を抜く様な競争を’常に行っているので、いざとなれば、それまでの恩義など一瞬にしてぶっ飛んでしまうところもある。
まあ、よく言えば「バイタリティーあふれている」と言うのだろうが、別の観点から見れば「図々しく、平気で友人をも出し抜く」とも言える。
日本人は全体的にお人よしさんが多いように思うな。「遠慮する」という独特の文化がある。
例えば、あなたがあるお店で働いていたとしよう。お店ではオーナーさんからも可愛がられ、快適な環境で働いていた。そのお店の隣に新しいお店が出来、従業員の募集を始めた。給与は今のお店よりもいい。さあ、あなたならどうする。
台湾人は平気で隣のお店に転職するという人が圧倒的だ。
これは実際に俺が経験したこと。昔、俺が経営していたお店で働いていた女性が、突然、「辞めさせてほしい」と言ってきた。理由を聞くと「海外への留学を考えている」との事。その人は俺のお店でも本当によく頑張ってくれていて、翌年の店長候補でもあった。
それだけに、痛手ではあったが、彼女には彼女の夢があるのだから、それを阻止することは出来ないと思い、辞表を受け取った。引き継ぎが終わり、いたいよいよ今日が最終日という日、スタッフ一同で送別会まで開いた。
そして、翌朝。俺がお店に行くと、な、な、なんと、その彼女が隣の店の制服を着て、開店準備をしているではないか。俺に気付いた彼女はわざわざ店の外まで出て来て、笑顔で「社長、おはようございます!」って挨拶した。驚いたねえ。そして、彼女は「こっちのお店の方が給与良かったから」と笑顔で話してくれた。返す言葉がなかったよ。
でも、これが台湾人。
日本人の悪いところは、率先して自分の考え、意見を言わず、まずは、周りの出方を見る。そして、誰かが狼煙をあげると、そこに群がり、「あなたの意見に同感」「あなたのおっしゃる通り」となる。
自分に正直じゃない人間が日本には多いよな。
こう言うと、必ず言われるのが「それが団体生活をしていくための手段であり、常識なんだ。お前の様に、自分の意見ばかりいってる奴は、極めて迷惑な存在であり、協調性ゼロのわがまま人間だ」と言われる。俺も言われ続けていた。
でもさ、俺は自分の意見を無理押し通そうなんて事は一切考えていない。
Aという案が上司から提示されたとしよう。すると、上司からの提案なので、この案に対して誰も意見を述べない。でも、その案の内容に疑問があれば、突っ込んで聞くべきだし、どう考えても無理があると思われる場合は、反対もすべきだと俺は思う。俺はそうしてきた。ただし、反対する以上は、必ず、代替え案を用意しなければならない。ただ単に反対!反対!と叫ぶのはバカのやることだ。
俺は35歳で日本のサラリーマン生活をスタートさせた。大学を出てから、35歳までは、台湾で社会勉強をした。台湾は完全実力主義。だから、会議の席でも白熱した議論が交わされる。これには男性も女性も関係ない。だから、台湾の会社では、女性幹部が多い。
この様は世界で10年以上社会勉強をしてしまった俺は、35歳からの日本の会社勤めは「不思議の国の組織」でしかなかった。
過去の栄光にぶら下がり、今の市場を何も知らず、知ろうともせず、営業拠点の支店長という肩書をもらい、一日中デスクの前で数字遊びしている無能な上司の多さに驚いた。
本部も、現場に出向きもしないで、現場からの報告書に目を通しただけで、「次の戦略」なんて大げさな事を言って、退屈で、無意味で、眠たい会議ばかりを繰り返している。
俺はいつもよく言ってたのは「市場」は「しじょう」と読むが、「いちば」とも読める。
市場(いちば)には新鮮な生ものが毎朝届けられ、その日の天候、収穫量、曜日によって値段も変動する。売れ残ったものは、翌日には、もう誰も買い手がつかない。
市場(しじょう)も同じ。生ものだらけ。だから、常に現場に出て、最新の情報を手に入れ、素早い対応がに必要なんだ。パソコンの情報だけではダメなんだよな。実際に自分の目で見て、手に取って、耳で聞かないと。
でも、シニア世代に近づけば近づくほど、その行動力は髪の毛同様に薄れ、パソコンからの情報は、腹回り同様にブクブクと太っていくだけ。
1分前の情報は既に過去の情報。まして、10年も20年も前の栄光など、化石だよな。
栄光にをぶら下がるのはなく、その栄光を今、この瞬間に再現させるために、どのように工夫しなければならないか、どのようにリニューアルさせなければいけないかを検証し、道筋を指し示すのが、俺たちシニア世代の責任じゃないかね。
日本人は「成功事例」という言葉に弱い。書店に行っても「私はこの方法で成功した」という内容の本が恐ろしいほどあるよな。でもさ、「私はこの方法で見事に失敗した」という内容の本、本当見ないよな。
人の成功事例を読んで、それで、自分も成功出来るかも知れないって思うのかね。それは絶対にありえない事なんだけどな。
「成功」という言葉に日本人は弱い。
俺は初期10年間の台湾暮らしの時も、サラリーマン時代も、脱サラ時代も、そして、今も、失敗の連続だ。っていうか、何を持って「成功」というのか俺には判らない。
失敗するから「よーし今度こそ!」と思って頑張れる。
目標達成=成功と言う人もいるが、俺は目標は達成した段階で通過点になる。
目標=通過点だから、さらに上を目指して頑張れるのだ。
人の成功事例よりも、失敗事例を集め、その失敗原因の分析を徹底的に行うほうが俺は良いと思う。
子供がテストで悪い点数を取って帰って来た時、「何故こんなに点数が悪いの!ちゃんと勉強したの!!」って怒るよりもさ、「今回の点数しか取れなかった原因は何か」というのをしっかりと子供と一緒に考えてやることが大切だ。
例えば、点数が50点だったとする。本人は70点取れる自信があったのにと言い訳し、落ち込む。では本当に70点取れるだけの準備(勉強)をしていたのかをもう一度一緒に考える。すると、必ず子供は「いや、70点取れるほどの準備はしていなかった」と答えるよ。
失敗には必ず原因がある。その原因をしっかりと考え、分析し、なおかつ、記録としてきちんと残すからこそ、次へと繋がるんだよ。
そのことをきちんと指摘し、一緒に考えてやれるシニア世代であろうぜ!!
いいかい、一緒に考えるんだ。叱るのではない。そこをくれぐれも取り違えないで欲しい。