俺の独り言(シニア男の本音トーク)のブログ

台湾東部、花蓮に家族で移住したシニア世代に突入した中年男の本音トーク。同年代に送り届けたい独り言。若い世代に残したい独り言。

まずは避難。避難が空振りに終わったら、それはメデタイ事だ

日本では西日本の大雨で甚大なる被害が出た。被災された方、お亡くなりになった方々に心よりお見舞い申し上げます。


が、しかしだ、日本はどうしてこうも自然災害に弱いのだろう。
俺が思うには、まずは、日本人が自然の力を舐めている。そして、なんでも行政頼り、自分の命までをも行政に委ねているという事だ。


避難指示が出るのが遅かったと問題になっているが、よく考えてみてくれ。毎年、台風や大雨で被害がでるのは、「裏山が崩れた」「川が決壊した」「畑や用水路の様子を見に行って行方不明」等々、同じような内容ばかりだ。
そして、必ず出てくる言葉が「想定外の凄さだった」「今までの大雨でも大丈夫だったのに」。


今の気候は、過去の経験やデータなどまったく役に立たない状況になっていることは皆が判っているはずだ。しかし、「自分の地域だけは」という過信というか、迷信を信じすぎている。


地震以外は予報が出る。ニュースでもしきりに、「大雨の恐れがあります」「台風が接近しています」と報道を流している。


だったら、まずは逃げようよ。避難しようよ。何故、逃げない。何故、安全な場所に避難しようとしない。


ここからは、今、丁度、台風が近づいている台湾の対応について書こう。


台風の接近に伴い、危険な地域(山間部、川沿い)の住民の強制避難が始まっている台湾。まだ雨も風もない状態での避難。だからすべてがスムーズにいく。軍隊も出動して、避難活動を手伝ている。


これはごくごく普通の光景。当たり前の光景。台風が来る前だからこそ、皆が落ち着いて避難出来るし、身体の不自由な方や高齢者の方も何の問題もなく避難出来る。


避難が空振りに終わっても、誰も文句は言わない。
避難が空振りで終わったら、それは目出度いことではないか。


鉄道も道路も、被害が出る前に通行止めにする台湾。既に、花蓮と北側の宜蘭、台北を結ぶ蘇花公路は早々と通行止めになっている。だから誰も被害に遭わない。


車も、高い台に移動するように指示が出て、行政側が場所を提供。全て無料で駐車出来る様になっている。


倒木の危険性がある木々や街路樹はすべて伐採。市民は買い出しを行う。


何の混乱もなく、全てが昼間に、そして、何度も言うが、雨も降っていない状況で行う。


もしも日本で同じ様に、早々と避難指示を出して、避難が空振りに終わった場合、マスコミも住民も、行政に対して文句を言うのが日本人。


自分の命を行政に委ねる日本人と、自分の命は自分で守る、それをサポートする行政という体制を取る台湾。


日本人も日本の行政も台湾の自然災害時の対応について学ぶべき点が多いのではないだろうか。


最後に、これだけ台風や大雨については徹底している台湾なのに、どうして、太魯閣渓谷の落石については対応しないのか。それが不思議だ。

自分を縛り付けている常識から自分を解き放て

久しぶりのブログ。以前は可能な限り毎日書こうと思っていたけど、気が付くと忘れていた。まあ、自分で自分を縛るようなことはせずに、自由にいこう。


人間ってなんでも「こうでなければならない」「これが常識だ」と決めつける傾向にあるよな。俺も若い頃はそう思っていた。でもさ、その考えが如何に愚かであるかを知った時、一気に気持ちが楽になったよ。


「苦しい」「不幸」と思うのは自分を色々な決まり事で縛り付けているからだよ。法律で禁止されている行為以外の事で、自分を縛ってはいないか。「世の中の常識」という決まり事、自分自身の頑固さで決めた決まり事。色々あるんじゃないか。


一度さ、そういった決まり事をすべて忘れて、自分自身を解き放ってやったらどうだい。自分を解き放てる事が出来るのは、自分自身だけだぜ。


俺は世の中の常識というのが一番嫌いだ。誰が決めた常識なんだ。常識と礼儀作法とは違うぜ。これを同じだと考えている人もいるが、俺は全く違うものだと認識している。
礼儀作法は日本人として生きていくなら、日本人としての礼儀作法を身につけておく必要があるし、それを守る必要もある。俺の場合は、今の人生のほぼ99%は台湾生活だから、台湾の礼儀作法を身につけている。もちろん、日本人と会う時は、日本の礼儀作法で可能な限り対応している。
それと、常識は違う。今までの世の中、常識を打ち破ったところから、様々な新しいアイデアが湧き出て、新発明も生み出されているだろう。
それと同じだよ。新しい自分を発見したいなら、まずは、自分自身を縛り付けている常識を打ち破ることだな。


そうすれば、今、自分が生きているという事に幸せさと有難さを感じる事が出来るだろうし、自然と感謝する心が湧いてくるよ。


嫌な事があっても、「あー、良い経験させてくれた。おかげで二度とお前みたいなバカを相手にすることはなくなる。ありがとう」って思えるようになるよ。
ウソじゃない。綺麗ごとでもない。本当にそう思えるようになる。


俺はそう思うけどなあ。

自分の持つ才能、発想を大いに伸ばすことに真剣になればいい

「今の若者はやる気がない」「今の若者はすぐに物事に飽きる」「今の若者は・・・・」、これってよく世間で聞く言葉ですよねえ。
でも、俺は決してそうではないと思っています。今の若者だからこその独創的な発想を持った人も多い。
その発想を潰すしているのが、俺たち同年代の人達ではないだろうか。
「自分の経験による方程式」「会社の方針という方程式」に当てはめて、「無理」「前例なし」「リスクが高い」と判断。
そして、「まだ若いから、経験不足だ」という言葉で片づけてしまう。


確かに、俺たちが今まで生きてきた経験は大切だ。その経験を教える事も大切だ。しかし、だからと言って、頭ごなしに「無理」で終えるのはどうだろうか。
若者の発想を如何にして実現可能にしてやるかを考えるのが、経験を積んできた我々の務めではないだろうか。
若者の芽を摘み取る事は簡単な事。しかし、弱弱しい芽を育て上げることが重要ではないでしょうか。


可能性があるのなら、チャレンジすべきです。もしかすると失敗するかもしれない。でも、失敗してもそれを受け止めてやる度量を私たちは備える必要があるのではないでしょうか。


「愛があれば人は育つ」 「精神論だ!」と言われるでしょうが、俺はこれを信条に生きている。
誰に何を言われても、この信条は変える気はない。
失敗しても構わない。若いのだから失敗なんて気にする必要はない。自分の持つ才能、発想を大いに伸ばすことに真剣になればいい。


俺はそう思うけどな。